あの日旅たちを見送った友達の話

ウィンディ?

父の書斎でカードに書かれた文字を読んだ彼女は、大阪弁のきついぬいぐるみと共に散らばってしまった魔術を集めだした。



海賊王に、俺はなる!

そう拳を突き上げて、彼は大海原へ乗り出した。



いずれ先代のどの火影をも超えてみせるんだ!

彼はそう言って、ふざけながら、しかし努力を欠かさず強くなった。



アニメをなかなか見なくなってしまった。連載ものの漫画を追いかけるのが難しい。
そういう、嫌な意味での大人になってしまったな、という自覚がある。
それでも彼らの物語の続きを小耳に挟むたび、あああの時の彼は、彼女は、まだどこかで息づいているのだなと、遠くへいった友達を思い出すような心持ちがする。

だけど、例えばドラゴンボールの続編が、とか、聖闘士星矢のスピンオフ作品が、という話を聞くときに、
へえそうなんだ、すごいな、と思いはするのだけれど、
それはなんというか、私の入るずっと前に部活にいた伝説の先輩の話を聞いている感じで、他人事で、遠い世界の話に聞こえる。(一応、どちらもコミックスを読んではいるのだけれど)
比較的世代の近いセーラームーンスラムダンクでさえ、私にとっては先輩の話で、やはりどこか少し遠い。



ポケモンマスターになる

25年前、彼は全く言うことを聞かず、ボールにも入ろうとしない黄色い相棒を肩に乗せて(……いや、当時は引きずっていたような気がする)、故郷の町を飛び出した。

その長い長い物語が、とうとう一区切りついた。
彼の旅はまだ続くのだろうけれど、その様子を詳細に知ることはもうないのだろう。

ずっと彼の物語を聞いていたかったという気持ちがある。
たまにTwitterで流れてくるアニメの宣伝や感想、ファンイラストで、あの頃とは違う帽子を被る彼を見ながら、
ああ、元気そうだなと、小学校の同級生がテレビに映るようなそういう気持ちを続けていたかったという思いがある。

だけど、一人の親になってから、
今の子供たちにも、同じようにずっと旅をともにする友達がいてほしいと、そう思うようにもなった。

だから寂しい思いにちょっとだけ蓋をして。

お疲れ様、サトシ。そしていってらっしゃい。
またどこかで会おうね。



ポケモンのアニメはまだまだ続く。
主人公が交代し、まったく新しい旅が始まるだろう。

どうか彼らが、子どもたちの良き友達になれますように。